数量は多 本多弾正少弼書状 真田伊豆守宛 和書

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最終更新 2024/08/01 UTC

商品の説明

 
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■商品詳細

【書名】 本多弾正少弼書状 真田伊豆守宛
【巻冊】 一枚
【著者】 
【成立】 享保頃

★ 37×50㎝
★ 本多忠通(ほんだ ただみち)は、江戸時代中期の大名。遠江国相良藩の第2代藩主。官位は従五位下・弾正少弼。忠以系本多平八郎家3代。
★ 宝永2年(1705年)、初代藩主・本多忠晴の長男である本多忠直の長男として誕生した。父・忠直は本家の大和国郡山藩主・本多忠常の養嗣子となってその跡を継いだが、忠通は祖父・忠晴の跡継ぎとなり、正徳5年(1715年)に忠晴の死去により家督を継いだ。享保4年(1719年)12月13日、従五位下・弾正少弼に叙位・任官する。
★ 享保6年(1721年)7月2日に17歳で死去した。嗣子が無かったため、弟で養嗣子の忠如が跡を継いだ。

★ 真田伊豆守=第2代藩主・真田信政の六男(五男とも)。万治元年(1658年)6月14日、父が死去したため、2歳で家督を継ぐ。しかし従兄の沼田藩主・信利がこれに不満を抱いて家督争いが起こった。これは祖父の信之が幸道の後見人となることで鎮めたが、信之も同年のうちに死去したため、内藤忠興が後見人となった。
★ 寛文4年(1664年)1月13日、将軍徳川家綱に御目見する。寛文9年12月25日、従五位下伊豆守に叙任する。後に従四位下へ昇進する。延宝2年(1674年)6月28日、初めてお国入りする許可を得る。藩主としては領内の検地を行い、幕府から命じられた江戸城普請、朝鮮通信使の饗応役などで活躍している。しかしこれらの相次ぐ出費のために、藩財政が悪化した。
★ 武に優れ、自らは関口流柔術や神道流剣術の使い手であった。また、その武道を蔵書にしてまとめている(代表作は『松代侯詩集』)。また、松城を松代と改めた。元禄7年(1694年)8月21日、一族の真田信親へ新田2千石を分知する。ただし、元禄16年12月25日(西暦では1704年)、信親の養子であった信弘と養子縁組したことで、新田2千石は戻される。享保12年(1727年)5月27日、江戸で死去した。享年71。
★ 幸道の実子・源次郎は早世していたため、甥(長兄で旗本寄合の信就の七男)の信弘を養嗣子として迎え、跡を継がせた。
後継者から外された長兄の信就と幸道は仲が良かったとされている。


★ コメント

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本多弾正少弼書状 真田伊豆守宛 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本
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本多弾正少弼書状 真田伊豆守宛 - 古書、古文書
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